なんで子どもってのは、こんな可愛いんだろね。
あ、うちの子いま5歳になるんですけどね。
絵本読んでつってね、二冊読んだらウトウトし出して、私にしがみついたまんま寝てるわけですよ。
最近ちょっと暖かくなってきたので、少し汗ばんだデカイホッカイロかな?みたいな体温携えて、胴体にしがみついております。
まだほっぺたとかプクプクしてて、お口とんがらしてね天使の寝顔なわけです。
こんな無条件に私のことを慕ってくれるなんて、我が子とワンコロくらいですよ。
ワンコロに関しては私のことを下僕と思ってる節がありますが。
うちは色々と事情もあって一人っ子なので、だからこそ色々としてあげたい、不自由させたくない、とも思うわけで。
思うけど、あまり与えすぎるのもこの子自身が弱くなってしまうんじゃないか、という懸念もありバランスがとても難しく日々手探りです。
私が良かれと思ってやってることも、この子にとってははた迷惑なこともあるかもしれない。
分からないことが多い、何が正しいのかホントに分からない子育て。
この子のこの先、何十年という人生に私の子育てが影響すると思うと怖いです。
人格形成とかさ、そりゃ大きくなってからも変わることは出来るかもしれないけど幼少期ってやっぱ大事だと思うのです。
私は子どもより何十年も先に産まれてきてるわけで、言うなら人生の大先輩なわけですよ。
大先輩なんで、これは失敗するとかトラブルになるとかすぐ分かっちゃうんです。
だって大先輩ですから。経験値が違いますから。
その結果、子どもが望んでないのに答えを出してしまったり、取り上げることもしちゃったりね。
親として尻が青いほどの未熟さです、はい。
自分の子には笑ってて欲しいんです。
出来たら転ばないように、道端の石ころをホントは全部排除したいです。
でも、それは出来ないから。
私の方が先にいなくなるから。
転ばないようには出来ないけど、せめて上手な転び方、受身の仕方を一緒にいれる期間に伝えたいなぁと思うわけです。
そうやって致命傷を負わないよう上手な転び方の練習をして、自分なりの答えを持って欲しいです。
この子の人生は楽しいことがこれからも沢山あるでしょう。
でも辛いことや苦しいこともきっとあるでしょう。
そういう時に答えを他人からもらうのではなく、自分で見つけられるようになって欲しいと思うのです。
我が子が出した答えを見守れるよう私も精進します。どんな時でも味方でいたい、そう思います。
子どもが幸せそうにしてると、私も嬉しい。
幸せを願うのは子どものためというよりは自分の為に。
なのでこれは究極の自己満足。
だから
私のために幸せになってくれよ、我が子よ。
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